才能があるとか、ないとか結果でしかわからないという現実

音楽や野球選手のような世界じゃない普通の仕事でも才能がある人、ない人っていますよね。

特に成績が数値化されやすい営業職ではとても優秀な先輩とダメな自分に差があって才能の違いを痛感する人も多いでしょう。

しかし才能なんてあくまで結果論にしか過ぎません。

結果が出てからでしか才能という言葉は使われないんですよね。

目次

才能ってなんだろう?

そもそも才能ってなんでしょうか。

ネットで「才能とは」と検索すると一言で片づけることが出来ないくらいいろんな情報が出てきてきますね。

それだけ「才能」という言葉に明確な定義がないということでもあります。

才能について書かれているロングセラー書籍『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』では才能をこう定義しています。

「繰り返し表れる思考、感情、および行動パターンであり、何かを生み出す力を持つ資質」

例えば映画館で喧嘩が始まった時にどういった行動をとるか、

「喧嘩を止めに入る」

「係員を読んでくる」

「映画に集中する」

等人によって行動パターンは変わってきます。

そしてその行動パターン、思考パターンが才能と呼ばれるものであり、それが生産性に繋がることを才能を発揮すると言うわけです。

例えば「喧嘩を止めに入る」ことが出来る人は警察官を始めとする勇気を必要とする仕事で才能を発揮できるでしょう。

喧嘩があっても映画に集中出来る人はプログラマやデザイナー等一つの作業を集中して行う仕事が向いているかもしれません。

日頃からお客さんのために何が出来るか・・・ということを考えられる人は接客業で才能を発揮することが出来るでしょう。

特に無意識下で繰り返される思考、感情、行動パターンが仕事にマッチした時に才能は発揮されます。

才能は生まれつき?

才能とかセンスという言葉はいつしか生まれ持ったものとして扱われます。

本当にそうなのか・・・

人は遺伝子レベルで身体的特徴に違いが出るように思考にも違いが出てきます。個性と言われるやつですね。

そのため複数の人が同じ仕事をすると必ず差が出てきてしまうわけです。

人はそれを『才能』と呼ぶわけですね。

身体的特徴なら分かりやすいです。身長が高い方が有利とされるバスケやバレーだと高身長というだけで才能があると言われます。身体的特徴は生まれ持ったものですから大人になって手を大きくすることも身長を伸ばすことも出来ません。

それらは「生まれ持った才能」以外の何物でもないかもしれません。

しかし多くのシーンで才能という言葉が使われる時は身体的特徴よりも思考力、頭脳であることが多いです。

「彼は頭が良いから」

「あの人はデザインのセンスがあるから」

「彼の話術は才能だから」

自分より出来る人をセンス、才能で片付けることは簡単です。

しかし才能の定義が先述した、

「繰り返し表れる思考、感情、および行動パターンであり、何かを生み出す力を持つ資質」

であるならば生まれ持ったものとは言えない部分が多いです。

思考、感情、行動パターンはその人が生活してきた環境や自身の経験が積み重なって出来たものですから生まれ持ってのものとは言えません。

才能、センスは磨かれるもの

才能が生まれ持ったものではなく、本人の経験が積み重なって形成されたものだとしたらこれからもそれ(才能)を磨くことが出来るのではないか。

これは確実に「出来る」と言い切ることが出来ます。

しかし冒頭でも話した通り一般的な解釈の「才能」はあくまで結果論に過ぎず、実らなければ「才能がなかった」とされます。

つまり一般的に言われる「才能のある人」になるためには結果を出すしかありません。逆に何もしなくても結果が出れば「才能がある人」になります。それがたまたまでも偶然でも「運も才能のうち」とか言われますよね。

変な話ですよね。一般的に才能という言葉は「結果を出せない人の言い訳」でしかないんです。

なのでここから言う才能とは「何かを生み出す資質」、「生産性のある行動パターン」という解釈をしてください。

才能を磨くためにはどうするべきか

では「何かを生み出す資質」、「生産性のある行動パターン」を身に付けるためにはどうすればいいでしょうか。

それはひたすら考えることです。

え?それだけ?と思うかもしれませんが、これ一点に尽きます。

才能のある人=結果を出せる人というのであれば結果を出せる人はその結果を出すためにはどうすればいいかをひたすら考えて行動しているわけです。

もちろんのその思考が結果に結び付くかどうかが才能の有無に分かれることもあります。

しかし自分のことを才能がないと思っている人は例外なく考えることを放棄している人です。

何か出来ないことがった時、上手くいかないことがあった時、

「自分には才能がない」

「生まれ持ったものだからしょうがいない」

と考えるのは考えることを諦めた結果です。

思考能力には差がある

身体的特徴に個人差があるように考える力、思考能力にも差が出てきます。

優秀な人は二手、三手先を読むことが出来ますがそれが出来ない人もいるわけです。

そういう思考能力が低い人はどうするべきかというと、いろんな経験をしてみるしかないんですよね。私もそのタイプです。

考えても分からない。

だったら実際やってみる。

その際しっかり考えて行動する癖を付けましょう。

上手くいかない時は何故上手くいかないのか?

上手く行った時は何が良かったのか?

一つ一つ考えて行動することで次の経験に活かすことが出来ます。

まとめ

才能なんて所詮結果論です。

結果が出れば才能がある人、結果が出なければ才能のない人。

『ひまわり』で有名な後期印象派の画家、ゴッホが画家として評価されたのは亡くなってから後のことです。

私達の時代の中で天才と評価されていても、亡くなってしまったゴッホは生前に自分に類稀なる才能があるなんて思っていなかったんじゃないかなと思います。

才能なんて結果論に過ぎません。

だからまだ結果が出てないうちに、生きていてその活動が出来るうちに自分に才能がないとか思うことって何の意味ないんですよ。

前人未到、世紀の大発見というレベルならともかく、たくさんの先人達が達成することが出来たくらいのレベルの結果を出すくらいなら、ひたすら考えて行動すればいつかは辿りつけます。

年収1000万以上の人って日本国内だけでも100万人以上いるんですよ?

そんなにたくさんの人が生まれ持った「天性の才能」があると思えませんよね?

ひたすら考えて行動すればそれくらいは辿り着けるわけです。

「才能ない」なんて悲観的にならずに頑張りましょうよ。

著者プロフィール

ニックネーム:吉本ひろうみ

記事のライティング、運営管理担当。

高知県出身。
フリーター5年、プロバイダ販売、電気通信事業者の営業を経てインターネット広告業界に参入。
副業で取り組んだ後に独立。インターネット広告を6年、現在は起業しサブスク事業などをやってます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次